BLOG わたしたちの日常
2019年12月09日
2019年11月の社内木鶏会
2019年11月の社内木鶏会 感想文から
今月のテーマ「語らざれば 愁いなきに似たり」
「君看よ双眼の色、語らざれば愁なきに似たり」
この意味は、あの人の眼をごらんなさい、何も語らなかったら何の愁いもないように見えるでしょう。という意味であるが、さらに何の悲しみもないように見えるが、その眼の奥には深い悲しみが秘められているという風に読み取ることもできる。これは、人は皆大なり小なり愁い悲しみを持っているということを表しているのだと思う。この文章から人と接する時は、ただ上だけを見て判断するのではなく、その少し先をおしはかり、思いやりを持って接することが大切なんだろうと考えた。また、相手が語らない時は、こちらから問いかけることも必要なことだと考えた。コミュニケーションの難しさを痛感する言葉(文章)だと思った。【代表取締役】
この特集の中で「何も語らなかったら何の愁いにもないように見えるでしょう、~何の悲しみもないように見えるが、その眼の奥には深い悲しみが秘められている」という言葉がありました。昔中学生の頃、突然母が入院することになり、出張中の父との連絡をとるため自宅で電話番をしていました。その時の私は動揺していましたが、しっかりしないと と、きぜんに振る舞っていましたが、その姿を見た祖母に「なぜそんなに冷静なのか」と少し怒られました。何も語らなかったから何もないように見えたのだと今は思います。だからといって「とても悲しい!どうしたらよいのか!」とパニックになるのをひたすら抑えていた私はとても理不尽に思ったのをこの言葉を読んで思い出しました。聞かないと分らないことでも、少しでも相手のことを知り、姿を見て変化を気づいてあげられるそんな人になりたいと思います。【女性社員】
今月の記事を読んで思ったことは、かなしみは皆でたすけあってのりこえるということです。タイのニュースを見て、今、軍はせいじをしているから経済が悪くなりました。いろんな会社はどんどんやめてしまいました。多くの人は仕事がなくなって大変です。だからいま困った人たちは反対運動をしています。もし反対運動が大きくなったら,軍にころされるかもしれない、昔もおなじようなこと起きて、たくさんの人がころされてしまいました。そのときみんなも私の家族もたすけあってのりこえてきました。だから、また同じようなことはもどってこないようにしてほしいです。【外国人男性社員】
今回私は感違いに気づかされた。自分の苦しみや悲しみは誰かに聞いてもらいたいし、言いたいと思った時は言いたいし、家庭内でも何でも言わなければ分らないから語ることは大事だと思っていた。そう思っていたから知人に悲しい出来事があって話聞くだけでも聞くよと言ってきた。でも語れないほどの深い悲しみがあるからこそじっと耐え忍んでいることに気付けなかった。相手の思いを聞いてすべてを汲み取ることができるわけがない。言葉以外のところからにじみ出てくるものを感じなければならなかった。普段愚痴を言っても人を責めても何もいいことはないのは分っているし、言わなければ良かったと思うことも多々あります。聞かなければ良かったこともあります。とにかく私は自分への甘さが出すぎなのだと思いました。もっと自分で耐え何も言わない、苦痛やゆううつにを人にわけず、余裕な態度を静かに見せる。人は悲しいけど結局孤独なのだと思いました。【女性パート社員】
語らざれば愁いなきに似たりに関しては、私にとってはどちらも初めて知る方たちです。映画「おくりびと」を知っていたくらいの知識です(まだ観てはいない)この2人が語る親鸞(しんらん)と良(りょう)寛(かん)から学んだことは2人の大きな共通点が実は有り、それは「愚(おろか)」だそうです。愚かなと言う意味ではなく、とちらもへりくだっているわけですね。また「愚直に生きる」と言う言葉が有るように、バカ正直にまっすぐ生きたのが親鸞と良寛なのでしょう。最終に、私はへたでも一生懸命やっているほうがよほど魅力が有ります。【外国人男性社員】
この記事を読んで認知症ではなかったですが、パーキンソン病になってしまった祖母をを重ね合わせて読んでいました。私にとって祖父母は本当の父と母のような存在でした。少し複雑な事情があり育ててくれたのが祖父母だと私は思っているからです。筆者と同じように「看病はじいちゃんがするから」と言ってくれた祖父。今まで作ったこともない料理を笑顔で出してくれたのに「ばぁちゃんの味じゃない」と責めてしまった自分。病気になっていろいろなことをやりたくてもできない祖母。言葉をうまく発せなくなっていた祖母が私にくれた言葉は「波乱万丈な人生でも笑顔は忘れないで」という言葉でした。祖母は私に「頑張れ」という言葉を言ったことがありませんでした。散々迷惑をかけてきたけど、親が子の尻をふくのは当たり前といつも優しく見守ってくれました。病気も進行し寝たきりになり言葉にならない声を出すのが精一杯な状態になっても祖母は私に生きる強さと安心感をくれました。祖母が亡くなった時に聞いたのですが、忙しさを理由にあまり顔を出さなくなった私をいつも心配してくれていたそうです。ちぃちゃんに強くなれ、頑張れ、って伝えたいと亡くなる前まで周りに伝えていたそうです。祖母にはもう見せることは出来ないけれど、祖父には強くなった自分を見せ、何に対しても頑張っていることを認めてもらえるようにしていきたいです。【本社 女性社員】
人生を歩むうえで悲しいことに遭遇しないことはない。必ずぶつかる悲しみをどう自分の中でとらえていくか。その悲しみは自分に与えられたものであると腹に据えてそれを受け止めて人生を生きることが大切であると思いました。【外国人男性社員】
私はこの記事を読んで非嘆(ひたん)を抱える人に寄り添うグリーフケアに取り組んでいるシスターや家庭環境に恵まれない子供たちの支援に奔走している方がいらっしゃることを初めて知りました。そして遠く離れて暮らしているふるさとの母に思いをはせ、涙が出ました。近年子供への虐待が増加し幼い尊い命が奪われるという痛ましい事件が後を絶たない。親ならば無条件に子供を愛して当然だと思っていたが、それは自分が親から深い愛情を受けて育ったから言えるのでしょう。私は難聴という身体の障害は持って生まれたが、こころの障害はもつことはなく心が豊かだったのは、両親に愛されていたからだと気づかされました。現代の日本は「ストレス社会」だとよく言われていますが、大人も子供も苦しい時、辛い時、困った時はまわりの誰かに「たすけて」と声を出して言える社会になればもっと生きやすい世の中になるのではないかと思いました。【女性パート社員】
認知症の母が教えてくれたことを読んで印象に残ったところが、認知症の家族を人目につかないように家から出さないという家族があった三十年前に藤川氏の父が言った「何が恥ずかしいものか。俺が愛して愛して結婚したお母さんだぞ。病気が心臓、肺にくる人がいるようにお母さんは病気が脳にきただけだ」と、いつも母の手を固く握って散歩にでていたというところです。藤川氏の父のような考え方のできるように自分も意識してみようと思いました。【女性派遣社員】
今回の介護の詩を読んで思った事は、いずれ私にも母の介護する時がくるかと思う。今は元気でいてくれる母も、いつどうなるか誰にもわかりません。だから今からでも後悔しない日々を送ってほしい思いました。【男性派遣社員】
どんな悲しみやうれいの中にあっても、人は決して一人で生きているのではないことを忘れないでほしい。人は皆、誰かを支え誰かに支えられ、様々な関係性の中で生かされている。この文章に感動しました。本当にそうだなって思いました。人とのつながりは大事にだと思いました。【女性派遣社員】
介護の詩を読んで思った事 私も中学の時から姉の世話をしてきました。病気だった姉をみるのは初めはとても嫌でした。友達と遊べない事がとても嫌でした。さそってくれても断らなければならなかった事、その事で仲間はずれにされ嫌な事もされました。 私も高校出た後の次の年に、今の夫と出会いました。それから3年、姉から電話があり「世話をしてくれてありがとう」っと言ってくれました。その時の私はとてもうれしかったです。姉もその1年亡くなってしまいましたが、世話をしてよかったと心から思いました。【女性派遣社員】
認知症の母を介護するために幸之助さんが施設へ向かうと「幸之助さんが来るだけでお母さんの表情が全然違います」というところが心にとまりました。私の母は家族で一緒にいることを楽しむ人でした。仕事の時間が多く家族といられる時間は少ない人でした。母の世代では専業主婦の人が多いこともあったので、母にとって家族と一緒に、母として関われること、その時の時間が本当に楽しめた事だったんだろうと思います。わざわざ「楽しい」や「うれしい」と語ることはありませんでしたが、母の表情がそう語っていました。人は言葉をもつ生き物なので、語り合いが大切だという話もあると思いますが、語り合えるためには、語れる場や相手の雰囲気も合わなければそうならないと思います。和んで人と語り合えるような表情や姿勢で生きていきたいと思いました。【男性社員】